新しい秩序の時代〜注47

公開: 2019年8月2日

更新: 2019年8月xx日

47. 原爆開発

第2次世界大戦に突入する前、イギリスは独自に原爆を開発する取り組みに着手していたことが、最近の調査で分かってきています。当時、米国政府は、まだ原爆開発の計画を考えていませんでした。第2次世界大戦がヨーロッパで始まり、当時のイギリスの首相、チャーチルは、米国のトルーマン大統領に、米国の連合軍への参加と、原爆開発の重要性を述べたそうです。日本でも、第2次世界大戦中、理化学研究所の仁科博士を中心に、原爆を開発する計画が進められていました。このために、日本国内の鉱山で、ウランを採掘し、それを濃縮する方法が研究されていました。結局、先行していたイギリスの研究者の参画を得て、米国で実施されたマンハッタン計画により、世界で最初の原爆が開発されました。当時、原爆開発に必要な人材と資金を集め、投入できたのは、アメリカ合衆国だけだったのです。しかし、対ナチス・ドイツ戦争を有利に戦うために開発された原爆も、その開発が完了したときには、ドイツ軍の連合軍に降伏した後でした。ルーズベルト大統領の急死で、急遽、大統領に就任したトルーマンは、原爆開発について、ルーズベルト大統領から何も聞かされていなかったため、マンハッタン計画を進めていた陸軍のグローブス将軍の説明を受けても、ほとんど理解できなかったと言われています。トルーマン大統領は、グローブス将軍からの日本への原爆投下の進言を受けて、大統領補佐官にその内容を検討するよう指示しました。補佐官からは、原爆の使用は、多数の市民を巻き込むことになるので、将来、大統領の決定に対する倫理的問題が指摘される可能性があるとの報告を受けたそうです。大統領が原爆投下の決定をしないまま、戦後の世界政治を議論するために、ドイツのポツダムでの会議へ行っている間に、原爆の実験に成功しました。グローブス将軍は、トルーマン大統領が米国へ帰る前に、日本へ原爆を投下しなければと考え、大統領の署名がないまま、原爆投下の命令を発しました。トルーマン大統領が、原爆投下を知ったのは、ドイツからアメリカへ帰国する途中の、大西洋上の軍艦の上でした。軍人と科学者の暴走が、人類初の原爆の使用を引き起こしました。米国に帰国したトルーマン大統領は、長崎へも原爆が投下されたことを知り、その後も続けて投下される原爆の使用中止を命じたそうです。

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